零の晩夏

誰も幸せにできない
誰も救えない
あなたも私も

幼い頃のおれは、いまよりもずっとまっすぐ、純粋な気持ちで絵を描いていたと思う。そのときの気持ちを思い出しながら、気が付いたら生と死の輪郭線を辿っていた。

幼少期の病院、高校の美術室、大学の卒業展示と、その隣でやっていた県展、そして現在。いくつもの再会と、別れ。忘れられてゆく記憶、あまりにも鮮明に残り続ける記憶。

死にこだわったのはなぜか、なぜモデルたちが例外なく死んでゆくのか。

再会に救われることもあれば、再会に絶望させられることもある。

そうして選び取ったものが"死"だったのかもしれない。




『遊びをせんとや逝かれけむ』
『梁塵秘抄』は、平安時代末期に編まれた歌謡集である。その中に「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺るがるれ」という歌がある。そんなことを後に知った。「遊びをせんとや生まれけむ」とは、遊ぶために生まれてきたのだろうか、という意味である。ならば彼の絵のタイトルは、遊ぶために亡くなったのだろうか、と言っているわけである。身の毛もよだつタイトルである。


散りばめられた伏線の回収の素早さ。すべて回収した、と思っていた矢先にまた回収される伏線。それも?え、これも?まさか、その話も?と、おれは並んだ文字たちに釘付けだった。いつ、どのタイミングで謎が解明するのか分からなかった。

あまりにも、あまりにも。美しい作品だった。

余韻が、すごい。

使いかけのスケッチブックを引っ張り出してみようと思う。もしかしたら、おれにも。


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